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【依田勉三(よだべんぞう)】 |
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帯広市開拓の祖。帯廣神社前の中島公園に銅像(右写真)が立っている。 |
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また、北海道神宮(札幌市)の境内に鎮座する、開拓神社にその御霊が祀られている。 |
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【開拓神社の由緒(参考)】 |
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昭和13年に北海道開拓70周年を迎えるにあたり、時の北海道長官石黒 |
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英彦は、其の記念事業として物故開拓功労者を奉斎して、其の功労を敬仰 |
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し併せて永久に其の祭祀を行うために札幌神社境内地を卜して開拓奉斎 |
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殿の建設を提唱して、全道から奉斎の申請を求めました。其の結果35柱を |
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選考して奉斎殿の工事に取りかかり、昭和13年8月12日に竣功致しました。 |
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其の建坪は四坪八合七勺五才、然して、昭和13年8月15日に斎神の遺族 |
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も招待して鎮座祭並びに例祭が盛大に執行されました。 |
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其の後昭和15年10月14日に札幌神社末社開拓神社に指定され、昭和2 |
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9年9月22日には、帯広市長佐藤亀太郎外数十名の請願が承認され、帯広の農聖といわれている依田勉三命を合祀して |
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37柱の御斎神となりました。 |
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終戦後は、官庁の参拝もなく社殿もやや荒廃致しましたが、昭和43年には、北海道開拓百年奉祝の記念事業として社 |
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殿の大修理を行ない、又付属社務所等を新設して、末社としての尊厳を護持するようになりました。 |
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例祭日は、鎮座記念日の8月15日 |
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昭和53年の例祭からは先覚者の御霊まつりとして参道に万燈を建て、祭典に北海道知事の祭文を奏し、又、4基の子供 |
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御輿を謹製して、ボーイスカウト、ガールスカウト、剣道部員などの少年少女による渡御を執行し、敬神の念の涵養と郷土愛 |
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の向上につとめることになりました。 |
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(北海道神宮略誌より) |
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戻 る |
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