【大國魂神(おおくにたまのかみ)】
 
 国魂神(くにたまのかみ)とは国土そのものの霊格を信じて、これを国魂神と称えるのであります。日本の国土は、伊邪那岐命・伊邪那美命陰陽二柱の神の国生みによって、生れ出た国土でありますから、この国土には、神の霊魂を宿して居られます。この神霊は又新しい生命を生みだす霊力をもって居られますので、万物を成生化育したまう神としてお祀りするもであります。
 また、国魂神は大地守護の神。大己貴神が国土を経営したので大国主神・大国魂神とも呼ぶが、前にあるようにそれとは別にある、地域の国霊として崇められたものが多い。尾張大国霊神社、摂津国難波坐生国咲国魂神社、河内国魂神社、近江国淡海国玉神社(以上式内社)や武蔵国大国魂神社(式外)等に祀られるものがこれである。生国咲国魂神社は、元難波京(仁徳朝)宮中に祀られた大八洲の霊であるとされる。 
 
【大那牟遅神(おおなむちのかみ)】
   
 大穴牟遅神おおなむじのかみ(古事記)。大己貴大神おおなむちのおおかみ・大己貴神おおなむちのかみ・大己貴命おおなむちのみこと(日本書紀)。大汝神おおなむちのかみ(播磨国風土記)。大穴持命おおなもちのみこと(出雲国風土記)。等多数の別名有り。
 大穴牟遅神(大那牟遅神)は大国主神(大国主命・葦原色許男神・八千矛神・宇都志国玉神・大物主神・大国玉神等)の別名の一つである。大は美称、牟遅は貴人の意とされる。神代紀には大己貴に対して於褒婀娜智(おほあなむち)の訓注があり、「むち」と清音でもよばれていた。穴は於保那武智(姓氏録)・大奈牟智(播磨国風土記)とあるように「な」と訓じている。洞穴の神、火山の噴火口の神、偉大な鉱穴の貴人(穴は鉄の意があるという)の意、また穴を感動詞とする説がある。
 別に国作大己貴命(神代紀)・所作天下(あめのしたつくらしし)大神大穴持命(出雲国風土記)とあることにより、土地を開拓した土地神の意として、どの土地のもこの種の神は存在したとする説もある。
 古事記では和邇(わに)に毛皮を剥がれた稲羽の白兎に治療法を教え、白兎は八上比売を妻とすることを予告する。しかし、それが兄弟の八十神たちの反感を買い、最初は火で焼いた大きな石を猪と欺かれ、その下敷きなって死に、次は大樹に挟まれて死んでしまう。一度目は神産巣日神の使者討虫貝比売・蛤貝比売に、二度目は御祖命・刺国若比売によって蘇生される。その後、御祖命の忠告に従い、根堅州(なかたす国に赴き、須佐之男命の女須世毘売を妻とし、共にその国を逃げ出す。その時、須佐之男命は、八十神を追い払い、大国主神・宇都志国主神となることを告げる。八千矛神、大国主神の名で登場し、大穴牟遅の名は少名毘古那神と国造りをする段にのみ登場する。
 日本書紀では、国譲りの神話においても大己貴神の名で出てくる。出雲国風土記では「五百津金且の泡樽取り取らして天の下らしし大穴持命」とあり、農耕的な国造をした神の一面を伝える。播磨国風土記でも農耕的な性格をもって語られる。
 
少彦名神(すくなひこなのかみ)】
 
少彦名神(日本書紀)、少名毘古那神すくなびこなのかみ(古事記)。須久奈比古命(出雲国風土記)。古事記では大国主神が、出雲の御大之御前にいる時、波の穂から天之羅摩船(あめのかがみのふね)に乗って、鵝(おほかり)の皮でつくった服を着て寄り来たった名前のわからない神。久延毘古によってその名を顕にされ、神産巣日神(かみむすひのかみ)の子であることがわかる。大国主神と共に国を作り堅めたが、後に常世国(とこよのくに)に行ってしまう。
 日本書紀では熊野の岬に至って遂に常世国へ行くとあり、粟嶋に至って粟茎にはじかれて常世国へ行ったともある。また高御産巣日神(たかみむすひのかみ)の子でとても悪まれており、教えに従わず、指の間から落ちた子とされている。
 常世いわゆる外国から来て大国主神と共に国作りをされ、また外国に帰って行ってしまったが、開拓に従事する百姓をお救いになるため医薬・禁厭の法・酒造の技などをお授けになった神。非常に体が小さかったことから実は一寸法師ではなかったかとの俗説もある。
   
参向文献 日本神名辞典、北海道神宮略誌
 
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