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兼 務 神 社 |
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■帯廣三吉神社(おびひろみよしじんじゃ) |
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鎮 座 地 |
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帯広市西5条南2丁目6番地 |
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御 祭 神 |
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大己貴神(おおなむちのかみ) |
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少彦名神(すくなひこなのかみ) |
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三吉大神(みよしおおかみ) |
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由 緒 |
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秋田県から移住した鈴木虎之助が太平山三吉神社の分霊 |
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を祭神として、有志と共に明治39年社殿を造営したのが創 |
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祀である。 |
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昭和6年秋田県人会を中心として社殿を改築し、昭和8年無 |
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各社となった。 |
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昭和21年宗教法人設立。 |
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平成16年社務所を改築する。境内には稲荷大神を祀る摂末社稲荷神社も鎮座する。 |
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例 祭 日 |
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8月18日 |
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■伏古神社(ふしこじんじゃ) |
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鎮 座 地 |
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帯広市西21条北1丁目1番地1号 |
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御 祭 神 |
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大國魂神(おおくにたまのかみ) |
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大己貴神(おおなむちのかみ) |
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少彦名神(すくなひこなのかみ) |
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誉田別神(ほんだわけのかみ) |
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由 緒 |
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明治27年、笹島助次郎・宮崎濁卑らが発起し、北1線西52 |
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番地に小祠を建立した。 |
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後にこの土地が民有地に編入し、同54番地に移遷した。 |
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大正2年9月現在地を相し、一祠を建立し遷座した。これが |
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伏古神社の前身であった。 |
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村内は戸数が少なく区域が広大であったため、明治39年頃には南方の伏古市街に、八幡神社と |
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称する祠もあった。 |
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最初は南6線西75番地にあったが明治42年に南3線72番地へ移遷し、更に翌43年に市街地 |
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基線西74番地に移遷した。安田由太郎・大森文三郎・横山大吉・榎榮吉等が当時の世話人でし |
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た。 |
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また、五社神社と称する祠が明治37年に北1線西37番地に創建し、同43年に八幡神社に合併 |
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しました。 当時の世話人は、日下宇太郎・江上音吉・大西国松・小川佐太郎・杉浦惣作等、合併 |
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後の世話人は宮崎濁卑・津田貞次郎・大森文三郎・野沢次郎・岡倍蔵・日下宇太郎・杉浦惣作等 |
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でありました。 |
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斯くして氏子は二分され、両社それぞれに祭事を営んできましたが、大正15年に両社を合祀する |
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ことが決議されました。現在の境内地に同年11月、社殿の造営を終え、遷座祭を執行致しました。 |
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合祀当時の氏子総代は松浦藤十郎・早苗清藏・長村定・田中爲次郎・横山大吉・老月虎松・渕上 |
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勝太郎の七名。土地出願総代人は西島勇藏・早苗理平・野原與三次郎・有澤孝太郎・田守宗四 |
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郎・田守初太郎等でありました。 |
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昭和6年に無格社、昭和8年4月13日には村社に昇格致しました。 |
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昭和9年、社務所建築を希望し帯広市より小学校の一部を無償譲受し新築致しました。 同年4 |
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月、昭和6年4月に廃校となった日新尋常小学校(西16条北1丁目)にあった赤松を北辰・伏古両 |
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青年団によって移植を行ないました。また北辰青年団より社号標が寄進されました。 |
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昭和10年カムイトウ伏古神社を合祀。 |
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昭和14年に手水舎を改修落成。 |
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昭和15年、紀元2600年記念事業として石造りの大鳥居を建立し奉納する。 |
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昭和28年宗教法人認証。 |
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昭和40年9月、木製の大鳥居が老朽化のため、コンクリート製の鳥居を建立し奉納する。 |
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昭和51年社務所を改築する。 |
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昭和53年神輿置き場を新設するために社務所を増築する。 |
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昭和61年、社殿を改築する。 |
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平成13年、社務所を改築する。 |
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例 祭 日 |
9月23日 |
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■十勝護國神社(とかちごこくじんじゃ) |
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鎮 座 地 |
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御 祭 神 |
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帯広・十勝出身の戦歿者及び平和功労者1210柱 |
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由 緒 |
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日露戦争が終って間もない明治39年11月3日、当時の天 |
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長節を卜し、矢後一郎之命を始め九柱の戦没者招魂祭を執 |
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行したのが十勝護國神社の創祀であります。 |
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大正2年4月、現在地に帯廣神社の旧仮殿を譲り受け、帯 |
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廣招魂社と称した。 |
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昭和11年には招魂社祭典協賛会を組織し、同年7月の招 |
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魂祭から全市民が国旗を掲揚し、以来終戦まで招魂祭当日 |
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を帯広市の祝祭日とした。 |
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昭和21年帯廣護國神社と改称、翌22年4月帯廣平和神社と改称し、7月15日を例祭日とした。 |
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昭和33年に現社殿を造営する。 |
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昭和39年4月には帯広出身者のみでなく十勝管内の町村出身者も合祀の為、十勝護國神社と改 |
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称し、例祭日をこれまでの7月15日より7月25日に変更した。 |
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昭和55年7月には創祀75周年の記念式典を執行した。 |
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平成12年、社務所を改築。 |
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例 祭 日 |
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7月25日 |
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